日産のゴーン元会長(以下、敬称略)の逮捕・逃亡については、政治家・法曹関係者・経営者・ネット住民などいろいろな立場から意見・感想が寄せられています。
その中で、あまり多くを語っていないのが教育関係者。私を含めて教育関係者の多くは内心「これはまずいことになったぞ」と焦っています。何が「まずい」のでしょうか。
日本の教育関係者は「リーダーには人望が必要」と説いています。ところが、輝かしい実績を上げたゴーンが逮捕・逃亡によって実は人望がまったくなかったことが明らかになり、「リーダーには人望が必要」という教えが揺らいでいるからです。今回は、経営者の人望について考えてみましょう。
「人望ゼロ」のゴーン
ゴーン逮捕から1年以上経ちます。個人的に驚くのは、ゴーンが容疑を全面的に否認しているのに、日産の従業員からゴーンを擁護する声がまったく上がっていないことです。
ゴーンによって閑職に追いやられた従業員はもちろんのこと、ゴーンのおかげで経営者に取り立てられた志賀俊之元取締役や西川廣人元社長も、ゴーンを厳しく批判しています。賛否両論ではなく、全否定の状態です。
日産時代のゴーンは、自分にこびへつらう部下を厚遇する一方、車造りなどで意見を異にする部下には「Don’t teach me(俺に説教するな)」と言い放ち、容赦なく閑職に追いやったといいます。そのため、ゴーンに取り入って出世しようという従業員はいましたが、人柄を慕ってゴーンについていこうとする従業員・関係者はいませんでした。
ゴーンは1月、日本のメディアの代表取材に対し「私には発言力と金がある」と語りました。逆に金はあっても人望はないと自ら認めているようです。過去に「権力は金で買うもの」という発言もしています。
ところで、事件を受けて、このところ「ゴーンの経営はよくなかった」「従業員や下請けを切っただけでしょ」とゴーンの実績を否定する見解が増えています。しかし、これは結果から逆算した偏った見方ではないでしょうか。倒産の瀬戸際に追い込まれた日産を救い、ルノー・日産連合を世界有数の自動車メーカーに育て上げた実績は実績として認めるべきだと思います。
ゴーンの実績を素直に認めるなら、人望がなくてもいい経営はできる、人望は経営者の必要条件ではない、という仮説が成り立ちます。人望がなくても、卓越した経営手腕や強大な権限があれば問題ないということでしょう。
日本では「人望のある経営者」が人気だが…
日本では、人の上に立つ経営者に人望(人徳)を期待します。古くはパナソニック創業者の松下幸之助、めざしを食べて行革に取り組んだ土光敏夫、最近では京セラ創業者の稲盛和夫のように、私利私欲を捨て、社員・顧客・社会に貢献するために経営に打ち込む経営者に部下など関係者は人望を感じ、打算でなく、心からつき従います。
こうした日本人の考え方を受けて、リーダー教育で講師は「リーダーには人望が必要」と力説します。かく言う私も、社会人大学院や企業研修の場で、あるいは著作で、経営者などビジネスリーダーを目指す学生・受講者・読者に、“無私の姿勢”を強調しています。
「経営者は苦労が多い割に報われることが少ない理不尽な役割だが、それを理不尽と思わず、無私の気持ちでこの役割を受け入れることで他人がついてくる――」
理屈はあります。どんなに能力が高い経営者でも、自分一人でできることには限りがある。経営者が孤軍奮闘するよりも、人望があり、関係者から能動的に貢献・協力してもらえるほうが、経営課題にうまく対応できるはずだ――。
理屈では、人望のある経営者のほうが人望のない経営者よりもいい経営ができるはず。ところが、現実はそうでもないようです。「無私→人望→人がついてくる→経営が成功」というロジックは、ゴーンや欧米のスター経営者を見る限り絶対のものではなく、「そうであるはず」という思い込み、あるいは「そうあってほしい」という願望にすぎないのかもしれません。
日本では、近代的な経営学が導入された戦後から今日に至るまで、リーダーの人間性を巡る議論が盛んです。とくに、歴史上の偉人と照らしてリーダーの人間性を問うのは、ビジネス誌では定番の議論です。「リーダーにとって大切なことは?」と聞かれたら、多くの人が「行動よりも知能よりもまず人間性」と答えるでしょう。
ところが、日本以外の国、とくにアメリカでは、経営者など組織のリーダーに人望を求める考え方は希薄です。 私が学んだアメリカのMBAではリーダーシップ論の講義がありましたが、リーダーの人間的側面が検討されることはありませんでした。business ethics(ビジネス倫理学)という科目も、企業として地球環境問題や消費者保護にどう取り組むかを問うだけで、リーダー個人の人間性や良心が問題になることはありませんでした。
この日米の違いはどこから生まれるのでしょうか。やはり会社という組織の捉え方が根本的に違うのでしょう。
日本では、会社は家族のような共同体的組織(ゲマインシャフト)で、経営者は家父長として家族である従業員を守ります。子供が愛情を注いでくれる父親を慕うのと同じで、従業員は経営者に高潔な人間性を求めます。
一方、アメリカでは、会社は機能体組織(ゲゼルシャフト)で、経営者は経営機能を遂行する責任者です。従業員から見たら、きちんと経営して業績を上げ、高い給料を払ってくれれば十分で、それ以上の人間性を経営者に求めません。
よい悪いは別にして、日本人が経営者に人望を求めるのは、日本独特の組織観に基づく特殊な考え方と言えます。
経営者に人望はもういらない?
では、今後はどうなるのでしょうか。最近私は、40代後半から50代前半の中高年層と30歳未満の若手層を対象に研修をする機会があったので、以下のA社長・B社長のどちらの下で働きたいか、それぞれ尋ねました。
A社長:高潔な人柄で人望があるが、経営手腕が悪く会社の業績は低迷。業務は非効率で、残業が多く、給料は低い。
B社長:私利私欲むき出しで人望はないが、経営手腕がよく業績は好調。業務は効率的で、残業は少なく、給料は高い。
結果は、中高年層24名のうち14名がA社長を支持、10名がB社長を支持しました。若手層17名のうち1名がA社長を支持、16名がB社長を支持しました。もちろん、ゴーンはB社長タイプです。
この結果をどう解釈するべきでしょうか。立場上、社長に近い中高年層は、トップと顔を突き合わせて仕事をする機会が多いので、社長の人間性を気にする、一方、社長との距離が遠い若手層は、人間性を気にしない、という面はありそうです。しかし、ウェットな人間関係を嫌う若手層が人望を重視しなくなっているという可能性もあります(サンプル数が少なく、あくまで可能性の指摘です)。
今後、経営者の世代交代が進むと、また外国出身経営者が増えると、人望はさらに重視されなくなるかもしれません。
・経営者に人望は必要なのか? なぜ必要・不要と言えるのか?
・従業員は人望のない経営者とどう付き合うべきなのか?
・経営者は人望を重視しない従業員をどう導いていくべきなのか?
ゴーンの事件は教育関係者だけでなく、経営者・従業員にも大きな問いを投げかけています。